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夏旅2004 第10日目: 時間の止まった家
今日は、京都から大阪に移動。午前中、枚方市の星ヶ丘という駅にある「SEWING TABLE」というカフェに立ち寄る。雑誌で見かけて以来、ぜったいに行きたいと思っていたカフェ。しかし、残念なことにお店はお休み。しかたなく、ポストにCDを入れて、立ち去る(でも、その次の晩、店主からメールをもらう。CDを気に入ってくれたよう。とても嬉しかった)。
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思い出あふれる家 |
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亡き祖父の家へ
僕の母方の祖父(新川久良といいます)は数年前に他界したのだけど、その祖父の家(母の実家)が吹田(すいた)市の吹田駅にある。僕が幼少の頃から毎年、夏休みも冬休みも春休みも、ずっと滞在していた思い出の家だったので、行くことにした。
いまは、空き家となっている。おそらく、僕が行くのは10年ぶりぐらいだと思う。
吹田の駅は、がらりと変わってしまっていた。ちょっと寂しかったけど、商店街に行くと、昔の面影が残っていた。祖父の家はここから15分くらいあるのだけど、とても近く感じた。きっと、子供の僕にとっては、長い距離だったのだろうな。
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今日のこの味は一生忘れません |
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主人の帰りを待つよう |
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時間の止まった家
町は変わってしまったけれど、祖父の家はそのまま時間が止まったようになっていた。毎年美しい花を咲かせてくれたサルスベリの木、よく遊んだ庭、祖父に焼き芋を焼いてもらった手製のかまど、駆け回った裏庭、ブルーベリーがなっていた秘密の場所。ほとんど庭の木は刈られてしまっていて、様子は違うけれど、お父母や、両親、いとこたち、みんなの声が聞こえてくるようだった。
刈られて変わってしまった庭だけど、毎年食べていた夏みかんの木は、今年もたくさんの実をつけていた。1つ食べてみる。太陽に照らされて、あったかくなった汁が口いっぱいに広がる。とてもすっぱいけど、おいしかった。僕はこの味を一生忘れないだろうと思った。
母に鍵を借りて持って来ていたので、家の中に入ってみる。ちょっと立て付けが悪いドアのガタっという音と、ドアにつけたカランコロンとなる鐘の音。何も変わらないその音が、僕を一気にタイムスリップさせてくれた。玄関には祖母の靴がそのまま置かれていた。いまにもそれを履いて、おばあちゃんが、「いらっしゃい。よくきてくれましたね」と迎えてくれそうだった。時間の止まった家。本当にそうだった。食卓の上には、塩や砂糖などが、いつも使っていたそのままの状態で置かれていた。台所の布巾も、最後に洗った食器を拭いてそのままだろう。食器もいつも使っていたものだ。押入のふとんも、おばあちゃんがいつも敷いてくれたものがそのまま入っている。何もかもそのままだった。
本棚を見てみると、C.W.ニコルの本があった。きっと祖父の本だろう。幼い僕には分からなかったけど、祖父は好きだったのかもしれない。今の自分とつながった。
祖父は医者でありながら、油絵や彫刻などもこなす、多才な人だった。祖父の作品も、そのまま飾られていた。随筆もよく書いており、「未整理原稿」と書かれた袋も置かれていた。
1階に置かれていた足こぎオルガンもそのままだった。弾いてみる。すっ、と優しい音が出た。僕はこんな風に音を出すことができるようになりました。おじいちゃん、天国で聴いていてください。
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